2011年3月27日日曜日

4ヶ月

大阪での実家生活も10日になります。

まだ遠くへ買い物に行く気分にはなりませんが、普通に水が出て、食料調達にも困らない生活にも慣れてきました。

こちらへ来る途中、つくばで一泊したのですが、ホテルにあるプールに水が張ってあるのを見たときに妙な感覚を覚えたし、蛇口をひねって水が出ることで あんなにも安らいだ気持ちになったことは ありませんでした。
使える水に限りがある、そしてそれがいつまで続くのか分からない というのは 想像以上に神経を磨り減らすことのようです。

断水生活自体は、ベオグラードでボランティアをしていた時に経験していました。
不定期ですが、短時間の停電・断水が頻繁にあったので、滞在していたお宅では貯め水が然るべきところに用意してあったし、5人チームでホームステイしていたせいか あまり心細い思いも、困った記憶もありません。「こんなに少ない水で洗いものができるんだ・・・」節水の心得はそのときにちょっとできたような気がします。 温水にも限りがあったので、寒い冬のさなか冷たいシャワーを浴びたのは私だけでなく、おそらくチーム全員が一度は洗礼を受けたと思います。

阪神大震災のときも、断水したのだと思うけど、あまり記憶にないのは 私がまだ子供で 水をたくさん使う役目を果たしていなかったからだと思います。母は大変だったのでは・・・
母はお風呂場のタイルに入ったヒビを ひとりで こつこつと補修していました。補修の痕は今も、そのまま残っています。

今回は自宅近くに浄水場があったので不便ではありますが、給水に行けば(子供が小さいので自分で行くのはなかなか大変ですが) 困らないはずでした。原発のことがなければ。

3号機が爆発したあと、翌日か翌々日に雨が降ったりしたので、給水には行きませんでした。汚染されているような気がしたから、少し時間をおいてから行く方がよいだろうと思い、3日間補給せず少しずつ使っていました。結局、水が尽きる前に 一時避難を決めたので、事故が騒ぎになったのちの水は飲んでいません。

大阪の人は日立の人が水道水を飲めないと思っているけど、実は日立では幼児も飲んでいたり(水が買えない)、東京の人が大気や水の汚染、品不足を怖がって大阪に避難を考える一方で、泉では 町で唯一開けているスーパーの前で辛抱強く並んで自分の買い物の順番を待つ人がいる。お店にはあらゆる品物があるわけではないけど。
みんながより安全な方を意識するのはあたりまえなのだけど、享受できる安全のレベルが場所によってこんなに違って、なんか 変な気がしてしまう。


息子は大阪で4ヶ月を迎えました。
泉での被災生活中はやることの多さと外出への不安から小児科に連れて行けませんでしたが、耳をひどく引っかいて傷つきようがひどくなっていていたので、先週行ってきました。
先生に教わったお手入れの仕方と軟膏のおかげで、みるみるうちにきれいになりました。よかった。
でも、代わりに風邪をもらって いまはコンコン咳が出ています。昨日もう一度小児科で薬をもらって、初めてのお薬。泣き怒りしながら飲んでます。

イヤなお薬を飲まされたあとの放心状態


ご機嫌のときはこんななんですけどね・・・










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