2012年2月22日水曜日

「つながろう」とは言うけれど

明日が提出期限の課題を夫が帰ってくる前にできるだけ多くやってしまおうと早々に息子を寝かせ、リビングでいざ取りかかるのだけど、どうも今晩は雑念が入って集中できない。


仕方がないのでブログを書くことにした。


震災のバタバタで中断していた翻訳の通信学習を再開して3か月目。2週に一度の提出なんて余裕、と思っていたけれど、長年のギリギリの性格によるものか期限前は結構寝不足になる。




ところで先日、東京に住む兄にこんなことを言われた。


「福島県というだけで土地の価値も下がる。もっと怒っていいんだ。」




・・・わかってないなぁ。


彼の言うことには、東電や政府は被災者の救済をもっと広範囲にやるべきで、我が家も損害賠償請求する権利があるという。避難費用や精神的苦痛、さらには地価の下落が相当激しいはずだから、それら諸々を「損害」として訴えてもよいのだ、と。


言っている内容は、合ってるか間違ってるかでいうと、たぶん間違ってはいない。
心配してくれているのも分かる。


だけど、「はぁ。」と溜息をつきたくなるような 虚しい気持ちになってしまうのは ナゼだろうか。




原発事故という「オマケ」つきの福島県の被災者で、この事態に憤りを感じない人はおそらくいないだろう。そう、言われなくても 十分怒っているのだ。


しかしそれは、土地の価値がどうの、損害賠償でどうの、ということで 救われるような痛みじゃない。


たとえ訴訟で報われるとしても、それは生活再建のための救済であって、 失ったものの本質からははるかに遠い、別のものだ。


お金には代えられないもの。




農家の人たちが長年かかって作り上げてきた、大事な土。


畜産農家の方たちが 泣きながら手放した 家畜たち。


子どもたちの安全な遊び場。


家族みんなで安心して暮らす毎日。




そういう、命につながるものを 失い、今も脅かされている。




ここの人たちは、自然の恵みをわかって暮らしているからか、命を大切にするように思う。


「あなた」の命も、「わたし」の命も。


食卓にあがってくれる、「いのち」たちも。残さずにすべていただくのを マナーとしている。




無くなってしまったものは、すぐには取り返せないし、お金で買えるものでもない。


だから、怒っているけど 現状を受け止めて最善を尽くそうと 工夫し、 努力している。


土地の価値が下がることよりも、もっとたくさん気にしないといけないことがある。




私は、息子が成長して 例えば結婚しようというときに、いつか差別を受けるのじゃないかと不安に思っている。


あるいは、いつか彼の体に異変が起きるのではないかという 不安も、 ないとは言い切れない。


そんな 不安とも、もしかすると差別とも 闘っていかなくてはいけない。


そういう気持ちを いったいどれだけの人たちが 分かってくれているのだろう。


震災から11か月が過ぎて、まもなく一年になろうという時。


私たちは本当に、心から「つながって」 いるのだろうか。

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